大天狗の碑の由来
碑は高さ3メートル幅1メートルの小松石を使用、台石は田中佐一郎、神保朋世の造型、石工は露木久吉、表面は民族融合の文字と正宗得三郎画伯の大天狗の姿、裏面には女流歌人田中御幸の歌一首と永遠に戦争の悲惨さを封じ込め、乾燥しきった都会悪の塵を洗う、原爆12年の日にと刻まれてあります。
天狗講初代総講元小生夢坊は敗戦後、米軍占領下で軽薄な世相が氾濫するのを憂えて大山の中腹に大天狗の碑建立を発願しました。大仙は関東総鎮護の地、大天狗の邪悪を砕く不動の妙力で戦争反対、民族融合、平和を祈願、日本民族の心と未来を守ることを大山阿夫利神社目黒潔宮司、平塚市長戸川貞雄、東京作家クラブ、浅草の会等の有志と共に呼びかけました。賛成した政・官・財・文化人・芸能人は700人を超え、1957年(昭和32年)5月27日、盛大に建立式典が行われました。
これを記念して毎年5月、社務局祈祷殿で前夜祭、碑前で平和祈願祭が催されます。案内板より。
神社横にある大天狗の碑の案内板