大山寺
昔から「大山不動さん」と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい755年奈良東大寺の別当良辯僧正が、父母の孝養のために建てたといわれる。
赤子の時、大鷲にさらわれた良辯を探して、日本国中を尋ね廻った父母が、盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王のみちびきで、親子の再会が出来たと大山縁起絵巻に書かれている。
良辯に帰依深かった聖武天皇は、良辯親子の再会に強く感動され、大山寺を勅願寺とされた。寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護をうけ、その都度再建された。
本尊不動明王・矜迦羅童子・制吁迦童子の三体は、珍しい鉄像で、1270年頃大山寺中興の祖、願行上人作と伝えられ、国の重要文化財である。他に782年〜897年の木造不動像をはじめ多くの仏像がある。